中国の外資銀行 9
91年2月の春節侵最高実力者・郵小平枇氏をはじめ中国人民政治協商会議主席李先念訪凝氏、それに楊尚昆国家主席ら中国土ハ産党のぞ上,うそうたるメンバーが上海に集まりました。
朱鎗聴基市長は市長として2年続けて最高実力者、郵小平氏を迎え、彼の長寿と健康を祝いました。
この席が長老グループによる朱錯基氏の北京行き決定の場だったといわれています。
1991年4月8日、全人代は人事案件の採決を行い、副首相に上海市長の朱錯基氏と国家計画委員会主任の郡家華氏がそれぞれ就任することが決まりました。
しかし、中央雛壇に朱鎗基氏の姿は見えなかったのです。
ドイツやフランス、オランダなどヨーロッパ諸国訪問に出かけていたからです。
上海市の友好都市などを飛びまわり、それぞれの国の政府関係者との会談を精力的にこなしていました。
ひとつは中国政府の副首相の顔で、そしてもうひとつは「浦東開発計画」のリーダーとしてでした。
「まだ上海でやるべき仕事が残っている」と言っていたその残された仕事は、朱市長の右腕として、常務副市長を務めていた黄菊氏、党委員会書記は呉邦国副書記がそれぞれ昇格して、後を引き継ぎました。
2人とも清華大学の後輩にあたる人たちです。
上海市民の朱鎗基副首相に期待するところは、市長時代にまして大きくなっているのです。